リチャード・ストールマン:自由ソフトウェアは教育において何をなすべきか?

投稿者: | 2014年3月10日
    https://www.gnu.org/education/に、リチャードストールマンが「自由ソフトウェアは教育において何をなすべきか?」をテーマにして話している動画があります。それの内容を日本語にしてみました。本家の公式訳とは違い、なるべくスムーズに読めることを心がけました。

    まず、このスピーチの日本語翻訳よりもgnu.orgにあるなぜ学校で自由ソフトウェアだけを使うべきかの文章も読んでみると良いでしょう。こちらは本家の公式訳です。

自由ソフトウェアは教育において何をなすべきか?

私はリチャード・ストールマンです。25年前、自由ソフトウェア運動を立ち上げました。自由ソフトウェアとはユーザの自由及びユーザ・コミュニティの社会的連帯に敬意を払うソフトウェアです。自由のないプログラムはプロプライエタリ・ソフトウェアです。すなわち、ユーザの自由を奪い、それらを分裂させておき、また、無力にさせておくものです。

分裂させることとは、プログラムを分かち合うことを妨げることであり、また、無力にさせることとは、ユーザがプログラムのソースコードを持つことが出来ないということなのです。

それは、ユーザはプログラムを変更することができないことであり、ユーザはプログラムが本当は何をしているか知ることもできないことです。そして、それは非常に悪い事態を作り出ことになります。

自由ソフトウェアというものは、ユーザが4つの基本的自由を持つということです。

第0の自由とは、いかなる目的に対しても、プログラムを実行する自由です。

第1の自由とは、プログラムのソースコードを学習し、必要に応じて変更を加えることができる自由です。

第2の自由とは隣人を助ける自由です。それは、あなたが必要である時、いつでもコピーを作り配布することができる自由です。

そして、第3の自由とはコミュニティに貢献する自由です。それは、あなたが手を加えたバージョンのプログラムのコピーを作ったり配布する自由です。

これらの4つの自由を持つプログラムというのが自由ソフトウェアなのです。自由ソフトウェアを利用及び配布する社会制度とは、人々の自由とユーザ達のコミュニティの自由を尊重する倫理的な制度となります。

ソフトウェアは自由でなければならないのは、我々すべてが自由を享受するに値する存在だからであり、我々すべてが自由なコミュニティのメンバーであることが認めるられるのにふさわしい存在だからです。

それ故に、学校では自由ソフトウェアのみを教えるべきです。なぜそうであるかには4つの理由があります。

一番底の浅い理由は金銭的負担の軽減です。教育現場では十分な資金がありません。ですからプロプライエタリ・ソフトウェア使用のために無駄金を使うべきではありません。これは誰にでもわかる理由です。プロプライエタリ・ソフトウェア会社は、その会社のプロプライエタリ・ソフトウェア製品を学校に無料で、あるいはわずかな価格で提供することで、その問題を通常はなくしています。

なぜ会社がこのようなことをするかといえば、学生を中毒にさせるためです。悪意に満ちた計画です。学生を永遠に依存させるための道具として学校で使用させる計画なのです。

もし学校がプロプライエタリなプログラムの使用方法を教えたら、学生はそのプログラムに依存し、そして学生が卒業後も、そのプログラムを使うためにお金を支払うことでしょう。

それゆえにプロプライエタリ・ソフトウェアの開発者たちは社会全体が永遠に依存するように仕向けるために教育現場を利用します。学校はそのような悪意に満ちた計画への関与を拒絶しなければなりません。学校というものは、有能で、力強く、自立し、協調性のある、自由な社会のよき市民となるべく次の世代を教育するという社会的使命を負っているからです。それは自由ソフトウェアを教えることのみによって達成できるのです。学校からプロプライエタリなソフトウェアを排除し、削除し自由ソフトウェアを導入しなければなりません。

そこには深い理由があります。それは良いプログラマたちを育てるためです。良質なプログラミング技術を学生に学ばせるためには、たくさんのコードを読ませ、たくさんのコードを書かせる必要があります。大きなプログラムのための良いコードを書くことを学ぶためには、学生は、大きなプログラムのコードの中にある小さな変更を書く必要があります。唯一、自由ソフトウェアのみが情報技術の教育を可能としているのです。

他にも深い理由があります。公正な共同社会性とは何かを教えることです。学校は技術や知識を教えるだけではなく、とりわけ善意の精神といったものや、他の人々を助けるという美風を教え込んでいく使命を持っているからなのです。故に、各々のクラスではこのルールを持つべき: 学生は、もしクラスにプログラムを持ち込むのなら、それは自分のために持っているのではなく、ほかのクラスの仲間たちとそれを共有しなければならない、というものです。学校は、それを広めることに努めなければなりません。それをさせるためにするべきことは、唯一自由なソフトウェアをクラスに導入することなのです。

すべての学校は自由ソフトウェアに移行すべきであり、また、自由ソフトウェアをだけを教えるべきなのです。すべての学校は自由や社会的連帯に向けて社会を導く役目を負っているのです。