以前FSIJのCodeFest2005で「自由」という言葉はどこから来たのかを調べて書いたのだけど、むかし書いたものをメンテできないので、こっちに引っ越すことにした。
https://members.fsij.org/trac/codefest2005/wiki/Jiyuu
森山栄之助 (多吉郎)
- Freedomを「自由」と訳した幕府の翻訳官(通詞)。
- 日本初の英語通訳。
- 1853(嘉永6)年のペリー来航のなど日米交渉でも幕府の通訳頭だった。
- 維新後は新政府には出仕せず1871(明治4)年3月16日に51歳で没した。
- ビールとコーヒー好き
- 「森山は、とくにエールとコーヒーの愛好者である (初代駐日英国公使オールコック)」 キリンビールのサイト
- 初代米国総領事のハリスと牛乳
- 「通訳の森山多吉郎を通じて下田奉行に「牛乳飲ませて欲しい」と強く要望した。」一般社団法人Jミルクのサイトより。
- 唐人お吉
- お吉に洋妾になって国を救ってくれといった本人が森山多吉郎だった。
- 戒名:清心院茶山日勇居士
- 全身写真 東京大学コレクションより
- www.lib.u-tokyo.ac.jp/tenjikai/tenjikai95-2/p/178.gif
- 写真 : このページの下の方にあります。
- 「自由」という言葉が広まったの福沢諭吉翁の「西洋事情」といわれているが、同書では「自由」という言葉を使ったときに注として’’FreedomやLibertyといった言葉に「自由」や「自在」と当てはめているのはあまり適切とはいえない’’と指摘している。
自由という日本語は元々は、「自分の好き勝手にする」「無責任で身勝手なふるまい」という意味に近い。この言葉をわざわざFreedomやLibertyという言葉に割り当てたのは、幕末の幕府の通詞・森山栄之助であり、この「自由」という言葉を選んだのも森山の意図的な戦略であると考えた方がいいだろう。民が幕府を打倒し手に入れるような権利など、森山には到底受け入れられないと考えたのであろう。明治維新以降、新政府にかかわらなかった彼の生き様をみて、それを感じ取ることが出来る。「幕府を否定すること=世の中のルールを無視し、無責任で、でたらめな行為」なのである。福沢諭吉翁は ’’FreedomやLibertyといった言葉に「自由」や「自在」と当てはめているのはあまり適切とはいえない’’ と「西洋事情」の中で指摘する。まったくもって正しい指摘である。
しかし、我々はいまだに森山栄之助の罠にはまり込んだままである。自由なソフトウェアという時、多くの人は「自分の好き勝手にできるソフトウェア」と頭の中で展開している。フランス革命にみるようなFreedomやLibertyという概念を「自由」に適用できている者はそう多くはない。それを見るにつけ、 言霊とでもいうべきだろうか、言葉の持つ力を知っていた森山栄之助の偉大さには驚嘆せざるを得ない。