「ものづくりへの技術者の劣等感が招いた、日本のソフトウエアの悲惨」 へのコメント

投稿者: | 2015年4月13日

この記事へのコメントを真面目に書いてみる。

ものづくりへの技術者の劣等感が招いた、日本のソフトウエアの悲惨

http://itpro.nikkeibp.co.jp/atcl/column/14/463805/040900032

#ITpro

この記事を読んで最初から最後までうなずくばかりであった。特に以下の部分は慧眼である。

日本のIT産業だけでなく家電産業やロボット産業、自動車産業などの製造業も、ものづくりとしてのソフト開発を一度否定するべき(木村岳史氏)

典型的な例から入って説明してみよう。80年後半〜90年前半にソフトウェア品質向上のために自動車を中心とした製造業から品質を機能に展開する手法を持ってきた日本独自の「ソフトウェアの品質機能展開」を今でも国内で進め、推奨している。もう少し詳しく説明すると、ベースにしている「日本工業規格JIS Q9025:2003マネジメントシステムのパフォーマンス改善−品質機能展開の指針」は製造業のためのモデルでソフトウェアを前提にしていない。日本だけのガラパゴス手法で、米国を中心として日本以外ではソフトウェアプロセスを対象にしておりISO12207になって国際標準化されている。

これをみてもわかるように、ソフトウェア開発という産業のパラダイムが、日本ではいまだに古典的な工業生産のパラダイムに縛りつけられている。理由は簡単である。80年代に自動車で大成功したからソフトウェアでも成功するだろう、というソフトウェアをわかっていない人たちが施策の方向性を決めたからだ。今だにこの方向性を捨てられない。そしてその中で育った人の多くが漫然とその矛盾を受け入れている。

自動車の機械的な性能やデザインなどはもう既に行く所までいっているので、自動車すらソフトウェアの塊として動くようになる。そうなればこれまでの日本では手も足もでなくなる。これはもう既にスマートフォンで実証済みである。日本の自動車産業が大成功したのはいうまでもないが、ソフトウェアは同じアプローチではない。成功体験にしがみつくが故の失敗。今後も日本がこの状況であれば、今後は自動車産業すらも食われるのは規定路線となる。IoT全般でも追いつけない。

まだ間に合うかどうかはわからないが、日本の産業自体が変わらなければ一方的な負け戦になるだけだ。

故に私は木村岳史氏の主張に深くうなずくほかないのである。

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